こんにちは😊
晴眼者のパートナーと1歳の息子を育てている全盲ママです。
今回は、一人暮らしと仕事が始まった頃に経験した
通勤・移動のこと(移動編) をお話しします。
当時の私は、通勤そのものが小さな冒険の連続でした。
「道を覚えること」「怖かったこと」「助けてもらったこと」。
その全部が、今につながっています。
🚶♀️ 道を覚えるために作った“3つのルール”
視力が落ち始めるにつれて、
「いつもの道でも不安で歩きづらい」と感じることが増えていきました。
そこで私が決めた 道を覚えるための3つのルール があります。
✔ 1)必ず同じルートを歩く
毎日同じ順路を歩くことで、
曲がる位置や段差を体が自然に覚えてくれました。
✔ 2)なるべく明るい道を選ぶ
街灯やお店が多い道のほうが、
視認しやすく、車や自転車にも気づかれやすくなり事故防止にもつながります。
また、お店の明かりや音楽も目印にしていました。
✔ 3)電柱やカーブミラーの位置・本数を覚える

道を覚える3つのルールの象徴的シーン。
視力が低くても、影や形の“雰囲気”で場所を把握できるため、
自分の中のランドマークとして大事にしていました。
白杖には 小さな鈴 をつけて、
「ここに人がいますよ」と周囲に伝わりやすくする工夫もしていました。
🚃 通勤1駅の簡単ルートでも“想定外”は起きる
職場までは電車で1駅。
道もまっすぐで、迷いようのないルート……のはずでしたが、
実際はそう簡単ではありませんでした。
😰 ●忘れられない「電車乗り間違え事件」

電車乗り間違え事件の不安と気づき
いつも私は 時間と停車するホームの場所 で電車を判断していました。
ところがある日、ダイヤが乱れており、
うっかり 反対方向の電車 に乗ってしまったのです。
乗ってすぐ違和感を覚えて1駅で降りたものの、
- そこは 無人駅
- 周囲には 誰もいない
- スマホは 充電残りわずか
- 外が明るくて 画面がほぼ見えない
という四重苦。
胸が一気にざわざわして、
「どうしよう…ここから帰れないかもしれない」と本気で焦りました。
最終的には、
車を持っている晴眼者の友人に電話して迎えに来てもらい、なんとか帰宅できました。
📱 この経験から学んだこと
この出来事で私は、
- スマホの画面が屋外では見えにくい
- お思っていたよりも見えづらくなっており検索自体が難しい
- 乗り間違えたときに頼れる手段が必要
という現実に改めて気づきました。
その後すぐに、
- スマホを全面読み上げ(ボイスオーバー)で使う設定に変更しよう
- 近くのタクシー会社を複数登録しておこう
と決めました。
いざというときの連絡先や移動手段を確保しておくことが、
視覚障害者の安心につながると痛感した出来事でした。
😢 視力の低下とともに増えていった“怖さ”
通勤を続ける中で、視力がさらに落ちていき、
歩くことそのものが怖くなる瞬間が増えました。
- 自転車にぶつかりそうになった
- あぜ道で足を踏み外しかけた
- 小さな段差に気づけなかった
「今日も無事に帰宅できるのかな…」
そんな思いを抱えながらも、仕事は続けたい。
できなくなる悔しさと、続けたい気持ちの間で揺れていました。
🤝 移動の中で感じた、社会のやさしさ
大変なことも多かったけれど、
同じくらい“助けられた経験”もありました。
- 駅に行くと駅員さんが必ず声をかけてくれる
- バスの運転手さんが覚えてくれて、分かりやすい場所で停めてくれる
- 横断歩道で困っていると歩行者や車の方が声をかけてくれる
日々の不安の中で、こうしたやさしさに何度も救われました。
⚠️ 怖かった出来事が教えてくれたこと
点字ブロックの上を歩いていたとき、
自転車の後輪が点字ブロックにかかっていて、お互いに気づけず ぶつかってしまったことがあります。
相手の方は誠実に対応してくれましたが、
「もし怖い人だったら…」と考えると、今でもゾッとします。
だからこそ、
白杖に気づいて声をかけてくれる人がいると、
胸の奥がふっと軽くなるほど嬉しいのです。
そして私自身も、
助けてもらったときには
反射的に「すみません」ではなく
「ありがとうございます」 と素直に伝えたいと思うようになりました。
🌈 歩行訓練へつながった気づき
視力の低下を実感し、怖さが増えていったことで、
「このままでは安全に通勤できない」と強く思うようになりました。
その時に訓練の重要性を感じ、 歩行訓練 を受けるきっかけになりました。
(次回は:歩行訓練を受けて変わったこと)をお届けします
また次の記事でお会いしましょう👋
▶︎ 網膜色素変性症(RP)と視覚障害者の暮らし|体験談シリーズ一覧
(第1回〜最新回までまとめています)

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