こんにちは😊
晴眼者のパートナーと一緒に1歳の息子を育てている全盲ママです。
これから妊娠・出産・育児について綴っていく前に、
まずは「なぜ私は全盲なのか」というお話をしておきたいと思います。
これは、母になる前の私――
視覚障害と向き合い始めた頃の記録です。
子ども時代に感じていた違和感|視覚障害の初期症状だったのかもしれない
小学生の頃、私は縄跳びや球技がとても苦手でした。
ボールの動きがうまく追えない。
物を落とすと見つけるのに時間がかかる。
友達や物にぶつかってしまうことも少なくありませんでした。
でも当時は、それが視覚障害の初期症状だとは思っていませんでした。
「どうして自分だけできないんだろう」
「努力が足りないのかな」
そうやって、自分を責める日々。
暗い場所で見えづらいこともありましたが、
「目が悪いだけ」と思い込んでいました。
今振り返ると、夜盲や視野の違和感は、
すでに始まっていたサインだったのかもしれません。

高校生での事故と診断|網膜色素変性症と告げられた日
高校2年の夏。
自転車で停車中の車にぶつかる事故をきっかけに、大きな病院を受診しました。
そこで告げられた病名が、
網膜色素変性症(もうまくしきそへんせいしょう)
でした。

網膜色素変性症とはどんな病気?
網膜色素変性症は、網膜の視細胞が徐々に障害されていく進行性の遺伝性疾患です。
主な症状は:
- 夜盲(暗い場所で見えにくい)
- 視野狭窄(視野がだんだん狭くなる)
- 視力低下
現在のところ、根本的な治療法は確立されていないとされています。
参考:
・厚生労働省 難病情報センター
・日本眼科学会
当時の私の視野は、まるで筒の中から世界を覗いているような感覚でした。
診断直後の気持ち|ショックと、少しの安堵
「治療法はありません」
その言葉を聞いたとき、頭が真っ白になりました。
将来はどうなるの?
進学は?就職は?
普通の生活は送れるの?
怖くて、不安で、涙が止まりませんでした。
でも、不思議なことに――
ほんの少しだけ、心が軽くなった自分もいました。
「私が不器用だったわけじゃなかった」
理由が分かったことで、
ようやく自分を責めることをやめられたのです。
病名を知ることは、絶望だけではなく、
自分を理解する第一歩でもありました。
視覚障害と進路の不安|盲学校という選択肢を知る
診断を受けたあと、現実的な問題が目の前に広がりました。
- 今の学校に通い続けられるのか
- 進学はどうするのか
- 将来、自立できるのか
「視覚障害がある人生」というものを、
初めて具体的に考えた時期でした。
そんな中で、医師や支援者の方から教えてもらったのが――
盲学校(特別支援学校)という選択肢でした。
盲学校は、視覚障害のある生徒が専門的な支援を受けながら学べる学校です。
点字教育や歩行訓練など、自立を見据えた支援が行われています。
参考:
・文部科学省 特別支援教育
正直に言うと、最初は戸惑いました。
「普通の道」から外れるような気がしたからです。
でも同時に、
“自分に合った環境がある”
という事実は、
暗闇の中に差し込んだ小さな光のようでもありました。

最後に|早めの気づきと、周囲の理解の大切さ
網膜色素変性症は、ゆっくりと進行する病気です。
本人も周囲も、
「少し不器用なだけ」「運動が苦手なだけ」と思ってしまい、
気づくのが遅れることもあります。
もし、家族や身の周りに
- 暗い場所で極端に見えづらい
- よく物にぶつかる
- 視野が狭いと感じている
- 強いまぶしさを訴える
そんな困りごとが多い方がいたら、
視覚に障害がある可能性もひとつの選択肢として考えてみてほしいと思います。
そして何より大切なのは、
本人と周囲の理解です。
病気そのもの以上に、
「理解されないこと」がつらい場合もあります。
診断は終わりではなく、
これからの人生をどう支えていくかを考えるスタートでもあります。

次回は、盲学校へ転校し、新しい環境で歩み始めたお話を書きたいと思います。
これから続く妊娠・出産編を読む前に、
まずは私の“全盲の部分”を知っていただけたら嬉しいです。
妊娠・出産体験シリーズ一覧(全13話)
※本シリーズは、全盲の筆者による個人の体験・感想をもとに記録しています。
医療的判断や育児方法については、専門家の意見を優先してください。

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