妊活から妊娠まで
私はもともと生理不順があり、多嚢胞性卵巣症候群の指摘も受けていました。
病院に通いタイミング法を始め、1回目の挑戦で奇跡的に妊娠することができました。
初めての妊娠がわかったとき、パートナーと抱き合いながら喜び、「私たちのもとに小さな命が来てくれた」と胸がいっぱいになった瞬間を今でも忘れられません。
突然の死産
しかし、妊娠16週に入ったある日、お腹に張りと痛みを感じ始めました。
夜になると規則的な痛みになり、出血も見られたため急いで病院へ行きました。
診察の結果、すでに赤ちゃんを包む膜が脱落してきており、妊娠を続けることはできないと告げられました。
その後、赤ちゃんはするっと静かにこの世に生まれ、旅立っていきました。
助産師さんの言葉

赤ちゃんが出てきたとき、助産師さんが私の手を握りながら、
「ママが苦しまないように、上手に出てきてくれたんだね」
と声をかけてくれました。さらに、胎盤がなかなか出てこなかったときに、助産師さんが赤ちゃんに向かって
「ママを助けてあげてね」
と語りかけてくれました。するとまるで赤ちゃんがその声を聞いてくれたかのように、その直後に胎盤がすっと出てきたのです。
この体験は、深い悲しみの中でも「赤ちゃんが最後まで私を支えてくれた」と感じる出来事でした。
病理検査と私の考え
胎盤は病理検査に出され、小さな炎症は確認されましたが、流産・死産に至るほどの大きな異常は見つかりませんでした。
医学的には「原因不明」とされましたが、私は妊娠中の免疫低下によって何らかの感染症を引き起こしたのではないかと考えています。
というのも、2度目の妊娠時におりものの異常を感じて病院を受診した際、感染症が見つかり、薬で完治した経験があるからです。
流産・死産を経験したママの会
死産の後、助産師さんから「流産・死産を経験したママの会」の存在を教えていただきました。
自分が体験するまでそんな会があることすら知りませんでしたが、「私だけではない」と知ることは大きな支えとなり、赤ちゃんが私に新しいことを教えてくれたのだと感じました。
小さなベビー服とお守り

赤ちゃんには、その会で手作りされた小さなベビー服を着せていただきました。
さらに、同じ布で作られたお守りのような小物を「ママの手元にも残るように」と渡してくださいました。火葬のあとも手元に残るその布は、今でも私の宝物です。
火葬の際には赤ちゃんに手紙を添え、命名を書き入れて送り出しました。
供養と日々の思い

その後、小さなお仏壇を購入し、毎日お花・お水・ご飯を欠かさずお供えしています。
月命日には必ず線香と生花をあげ、赤ちゃんに手を合わせることを続けています。
こうした日々の供養は、抱えきれないほどの悲しみや愛情を少しずつ形に変え、私の心を支えてくれています。
終わりに
突然の別れは今も胸を締めつけますが、この経験を通じて命の尊さを深く実感しました。
赤ちゃんが教えてくれたことを胸に、前を向き、次の命を迎える準備を整えることができました。赤ちゃんは今でも、私の心の中で生き続けています。


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